合格への道(2)~医学部編その2・小学校編~
★これはAMEBAブログに2023年11月2日に書いた記事の転載です(元記事はこちら)
ショートストーリーで学ぶ受験合格への道。
1回目のショートストーリーは
「ショートじゃなかったけど一気に読めた」
「いい話で感動しました!」
「素晴らしいですね」
…などなど、大変好評をいただきました。
ちょっと初回で頑張りすぎたので今回からは短く分割して描いていきます(そのかわり間が短くなるようがんばります)。
なお昔話で記憶が曖昧ゆえ、部分的に多少フィクションが入ったところもありますが、9割方実話です。
★2★
大学受験編その2・小学校編
「信じる者は救われる!?」
S君と出会ったのは2010年、彼が小学5年生のときだった。
あれは秋ごろだっただろうか。
セレブっぽいすまし顔のお母さんと、小さな妹さんを連れて、私が室長を務めていた教室に問い合わせにいらしたのが始まりだ。
お兄さんは有名私立桐蔭小学校の5年生。妹さんも都内の名門私立小に通う小2生とのことだった。
ところがそのお兄ちゃんがとてもやんちゃで、お母様と私が話している間、自分のことを大人が真剣に話しているのにそれを無視して、(メダカの水槽が間近にある狭いスペースなのに笑い声をあげながら)後ろでシャドーピッチングを繰り返していたのだ。
しかめっ面をして困っている私をよそ目に、母親は母親で強気な姿勢。
「いろんな塾を回ってきたんですけど、どこも受け入れてもらえませんでした。でもなんとか、桐蔭中等に上がれるようにしてほしいんです」
なるほど、そうだろう。
こんな扱いにくそうな子を受け入れてくれる塾はふつうほとんどない。
なんとか後ろで遊ぶ子供を注意したい気持ちをおさえて、30分ほど経過。
なんとか話がまとまってお帰りになり、私はもうひとりの社員教師と、
「さっきの人、断ったほうがいいかな」
「……かもしれません」
などと話す。
しかし当時18年の塾指導経験とプライドがある私は迷った。
どこも引き受けてくれなかったのなら、自分がなんとかしてみせよう。
・・・・・・
その後、個別での入塾となり、私が担当となった。
3か月ほど経ち、成果確認のためアタックテストというテストを実施した。
しかし返ってきた算数の偏差値は38だった(あまりにも衝撃的すぎてその後10年間以上、大学入試が終わってからも何度も語ったため、はっきりと覚えている数字だ)。
アタックテストというのは、塾内で行われる、比較的簡単な月例テストなので、この偏差値ではいくら内部生でも、あと1年で桐蔭中等に入るのは厳しいと言わざるを得ない成績だった(当時内部進学でも合格はそれなりに難しかった)。
しかも、本人には反省の色がなく、あっけらかんとしている。
私は何度か、宿題もやらず、授業もちゃんと聞かないような不真面目な態度に我慢できずに怒りを爆発させた。教育的配慮で厳しく接したというより、人を苛立たせるような我がままな態度にしびれを切らしたのだ。
徐々に冷静さを失い、親が子を叱るのに似た感じになっていった。
・・・・・・
そうこうしているうちに、小6になった。
通塾から半年ほど経ったが、学力は安定しない。
相変わらず、毎回色々な行動を、叱られ続けている。
なのに生徒本人は、毎週なぜか楽しそうに家族3人で塾に来る。
「せんせ~い、こんにちは~♪」
何が、そんなに、楽しいのか。
私は、怒るのをあきらめた。
怒るのがバカバカしくなってきたのだ。
この子は、自分で気づかなきゃ無理でしょ。
もうほっとこう。
すると、彼は彼で、私のあきらめムードを感じとったらしい。
そしてそれが彼に火をつけた。
急に、S君が、勉強し始めたのだ。
宿題も、指示されたこと以上のことをしてくるようになった。
「なんだこれは!?」
見捨てられそうになったのを知り、燃えはじめたのか!?
それとも実は単なる負けず嫌いだったのか!?
そして受験が近づいてきた夏。
ついに成績が上がり始めたのである。
偏差値40前後だった学力が徐々に上がり、50、55とテストのたびに上がっていった。
とはいえ、志望校の80%偏差値は61だった。
内部生とはいえ、これで受かるのだろうか?
半信半疑のまま、入試本番がとうとうやってきた。
~次回へつづく~

当時の教室(栄光)のようす


