合格への道(4)~医学部編その2・完結編~
ごきげんよう。
寒くなってきましたね。
いつもご愛読ありがとうございます。
さて、S君の長いストーリーもこれで完結です。
本人掲載許可済の高校時代の成績表や、写真も最後に登場♪
それでは一気にいきましょう!

これは本文とは無関係のイメージです
★4★
大学受験編その2・完結編
「信じる者は救われる!?」
そうこうしているうちに、高2の春がきた。
(ちなみにS君は高1から駿台にも週2回程度通っていた)
数学は「1対1対応の演習」も数Ⅲ以外はすべて終わり、数Ⅲについても高2スタート時点で単元学習が3割ほど終わっていた(通常、数Ⅲは高3の学習内容だが医学部受験生はふつう高2の最後には教科書をいったん完了する)。
学校成績も外部模試も、相当高いところまでストレートに上がってきた。
その頃、全教科の平均偏差値も70を超えていた(河合塾全統模試)。これならいけるか・・・!?
ここで高1からの彼の成績推移を見てみたい。
これはかなり貴重なデータである(本人掲載許可済。転載配布等禁止!)。
みえづらい場合はクリックすると拡大可能。

つぎは河合塾全統記述模試。高2の秋までは英数国のテストしかない。

ふつうの受験生からすれば、すごくいい成績に見えるだろう。医学部受験でなければ満足いく成績なのだが・・・
しかし我々プロからすると、高2時点で河合模試で偏差値70では、次年度は60~65くらいだろうという予測がつく。
その理由は2つ。
1.浪人生が入ることで必然的に上位層が厚くなる。
2.文系理系にわかれることで仮に数学が得意だった場合でも高3からは数学が得意な子ばかりの、理系のなかでの偏差値になる。
しかも彼の目指していたのは、東京医科歯科大学の医学部医学科。高2で偏差値70では足りないのだ(75は欲しい)。
高2といえば、いわゆる中だるみの学年である。
70前後までくるとなかなかその上に上がるのは難しくなるし、相当アクセルを踏まなければならない。
あまり成績の変動がないまま、時間だけが過ぎていき、高校2年も、終わりを迎えた。
・・・・・・
学校が厳しかったこともあり様々な失敗もあったが、S君はなんとか高3、最終学年を迎えた。
高3最初の模試の判定はE判定。
やはり、高3になると浪人が混ざってくるため偏差値は一気に下がる(下記データ参照)。しかし、ちょっと下がりすぎでは?
(※)駿台模試は同じ実力の子が受けても、河合塾全統模試よりも5~10ほど偏差値が下がるハイレベル母集団の模試。また「駿台全国判定模試」と「駿台全国模試」では後者のほうがレベルが高い。本当に紛らわしい。


国立医学部のなんと厳しいことか。
高1、高2でのA判定なんて、まずあてにならないことがよくおわかり頂けただろう。
夏が過ぎ、「志望校変えようかな…」とS君。
若干あきらめに近いムードが漂ってきた。
努力はしている。
週3回駿台、週1回フェイマスアカデミーで数学。
学校も受験勉強にはかなり厳しかった。
これだけやっていても、厳しい状況だ。
長い間見てきた生徒である。
なんとしても医学部に合格してほしい。
私も高3の9月にここまで下がるとは思っていなかった。
成績停滞ムードが漂っていた。
一方、それを振り払うように、S君はいつも明るかった。
S君には、こんな口癖があった。
「へぇ~、そうやって解くのか~!おもしろいね!」
こんな風に言われると説明しているほうも嬉しいもので、S君の授業ではとにかく色々高度なことを教えてあげたい気持ちが強く、内容も充実していた。
そんななか、過去問を開始する時期となったが、志望校が定まらない。
私は、ワンランク下げて横浜市大医学部にすることを勧めた(それほど差があるわけでもないが)。
そして横浜市大の過去問に着手し始めた。
しかしなかなか手こずっている。
そんななか、最後に一度だけ、いい成績をとってきた。
それがこれ。

でも、まだまだC判定。
医学部一般入試のレベルは、本当に厳しい。
このころ、S君は学校では最上位αコースの、学年10~15位程度に位置していた。
それでも、である。
・・・
そして、S君は、ついにある決断をした。
直前の三者面談でのひとこまだった。
「国立はあきらめるよ。東京医科大学の公募推薦にかけてみる」
東京医科歯科大学は国立トップレベル。
東京医科大学は私立上位レベル。
でも、東京医大だって、めちゃくちゃ難しい大学である。
医学部で簡単に入れるところなんてひとつもない。
「そうか~・・・、国立目指してずっとやってきたので残念ではあるけど、大学がどこかよりも、Sが目指している医師になることのほうがまずは重要だからな。倍率もだいぶ下がるし、そうしてみるか・・・!」
そして、公募推薦対策がスタートした。
推薦といっても、医学科の推薦はふつうとは全く異なる。
東京医大では、英語と日本語の小論文、面接、基礎学力検査(数学は数Ⅲまでが範囲)、書類と様々な項目があり、対策が非常に大変である。
実質倍率も5倍以上だ。
10月からでギリギリだったが、小論文や面接の対策を行った。
奇しくも、前回のブログ「その1」のY君と同じ流れである。
だいぶ普通の子と違った能力を持つS君。
小論文は、まずまず個性的なことを書けていた。
「もっと自分を出した方がいい。かっこつけるな」
面接練習では敬語を教えた(笑)。
敬語は、彼のもっとも苦手な分野だったのだ。
・・・・・・
そして、あっという間に、12月の入試前日がやってきた。
「いよいよ明日だな」
「大丈夫だよ先生!!絶対受かるから!!」
親も我々教師も、ドキドキである。
8年分の想いをこめ、握手をして、送り出す。
色々なことがあった。
必ず合格してほしい・・・!
・・・・・・
そして、受験後、終わるとすぐに塾に帰ってきた。
問題用紙は回収されたということで、数学の問題をすべて再現するS君。
「そこまで再現できるならまず合格だな!」
「・・・でも数学で1問だけ、できなかった」
空間図形の問題だった。
1問だけってことはほか9割は全部解けたのか。
「小論文も例のセリフ、書いたよ!」
面接も、しゃべり倒してきたとのこと。
S君らしい。
「これは、いったか」
・・・・・・
そして12月6日16:00の合格発表。
私は受験番号を聞いていたので、ネットで確認することにした。
番号が若いので、おそらく見た瞬間にわかってしまう。
心臓が高鳴る。
時間になり、PCのF5ボタンを何度も押す。
リンクが登場した。
マウスの左ボタンを押す。
S君の番号は、、、
あった!!!
教室のPCで確認していた私は、思わずガッツポーズが出た。
同時に涙も出た。
周りでは拍手が起こった。
その日、S君は高校から帰ってきて、塾に立ち寄ってくれた。
目指してきた国立ではないけれど、夢の医学部に、現役で合格できてよかった・・・!!
妹のMさんも、とても喜んでいた。
それまでは「ダメなお兄ちゃん」だと思っていたようだが、そのときばかりは尊敬の眼差しを向けていた。
そして後日、S君家族と我々塾スタッフは、S君のお爺様の経営するフレンチレストランで行われた祝賀会に呼んでもらった。
お爺様・お婆様には、実は医学部を受けるということは秘密だったらしい。
その祝賀会ではじめて明かされたのだが、2人をかなり驚かせたことだろう。
・・・・・・
あれから6年。
かれはコロナ禍をものともせず、勉強にいそしんだ。
最後に、これまた門外不出の現在の成績をご覧いただこう。
(現在東京医大6年のS君は、130人中7位の成績だそうだ)

なんというか、すごすぎる。
これなら来年の国家試験も楽勝だろう。
あとは、精神的にも大人になって、立派な医師になってほしいものだ。
さて、私が最初に出会ったときの栄光ゼミナールのアタックテストの成績を最後にお見せしたい。先日、このブログを見たS君が送ってくれた写真だ(なんでそんなものを大切に持っていたのか・・・)

ふつうの塾で、偏差値39だった小学生のS君が、
有名大学の医学部に現役合格し、
さらには医学部内でも学年トップをとっている。
みなさん、あきらめないで頂きたい。
彼は決して、天才ではありません。
初めて来た塾の受付でシャドウピッチングを繰り返していた、やんちゃ坊主にすぎなかった彼は、持ち前の努力と、そして人を信じる心で、ここまで到達したのである(そこは天才的だった)。
そして昨年2022年6月。
S君は私の誕生日の頃に、おみやげと、なぜか白衣を持って塾に遊びにきてくれた。
コロナ禍が続いたので、直接会うのは、かなり久しぶりである。
「先生に白衣姿を見せてあげたいと思って」
なんと!これが誕生日プレゼントだというのか。
いつの間に、そんなことを思いつく子になったのか・・・!
そのときの写真がこちら。


なお、この写真の後ろのドラセナミリオンバンブー(幸福の竹)は、S君のお母さまから、フェイマスアカデミーの開業祝いに頂いたものである(ちなみに左が私です)。
幸福の竹、ずっと大切に育ててきてよかった。
当初は30cm程度だったが、ここまで大きくなった。
・・・S君の成長とともに。

