テストで点がとれない理由ケアレスミスを減らす方法算数・数学が苦手な子の共通点間違いだらけの学習塾選び影響力のある親になる!

授業はよく理解している。
小テストの結果も悪くない。
宿題も忘れずにしっかりやっている。
集中力もないわけじゃない。
塾や学校の先生にも、マジメだと言われる。
なのに、いざ大きな模試やテストになると得点が伸びない。
なぜだろう。
塾がよくないのかな?
教材が悪いのかな?
本番に弱いのかな?
・・・
想像が尽きません。

ここではそのような「テストになると点数がとれない」ことの原因と対策を探ります。
ただし「明らかな勉強不足」が原因の場合は除きます。
「勉強はある程度しているのに点数がとれない」という前提で考えます。

※ブログにこのページの内容の続きを書きました(2020/7/30)。このページの内容とあわせてぜひご覧ください! ⇒【テストで点が取れない理由。】

テストになると点がとれない理由

(1)日ごろの学習の問題①…わかったつもりで終わっている

授業後の小テストとか授業中に解く教科書の「練習問題」などでは得点できるが、大きなテスト本番では得点できない。
これは「実践力が不足している」のです。

「理解力はあるが実践力がない」

これがテストで点数が伸びないということです。

<理解>というステージと<実践>というステージは別のところにあります。

たとえばテニス、野球、サッカーなどのスポーツの上達に不可欠なことは何ですか?
それは、講義を聞いたり、本を読んだり、DVDを見て勉強することではありませんね。
何よりも体を動かして、実際にやってみることです。

「習うより慣れろ」ですね。
(ただし<理解>なくして<実践>はありませんから、正確には「習ったら慣れろ」だと思いますが)

算数・数学の勉強もまったく同じ。
授業を聞いたり教科書や参考書を読んで理解したら、必ず実際に自分だけの力で解いてみること。
頭でわかっただけで終わりにせず、体が覚えるレベルまでやりこんでいるかどうか、です。
こと勉強となると、これが意外とできていないのです。
まとめ ~自分の力だけで解けるまで解き直す~数学のチャート式などのような「1対1対応」の問題集を解くときには注意が必要です。
上の例題を見ながら解けば解ける。
初期段階ではこれでいいでしょう。
しかし実際のテストでは「どの単元のどんなタイプの問題か」などという情報はどこにも書かれていません。
だから、いつでも「何かを参考に」解いている子は、テストでまず糸口が引き出せなくなってしまう状態に陥ります。
この状態を回避するには、ランダムに並んだ問題だけを見て、解法を割り出せるようになるまで、そして自力で解き切れるまで、練習することが大切なのです。

(2)日ごろの学習の問題②…テストを意識した勉強になっていない

模試などの大きなテストと、日ごろの小テストとの違いは何でしょうか?

模試などでは「何が出るかわからない」「どんな順番で出るかわからない」。
小テストは「○○の単元の小テスト」というように範囲がかなり狭くなっている。

大きく異なるのはこの点です。

後者では、事前に戦う「相手」についてほぼわかっているという点において得点するのが非常に楽になるわけですね。

また、算数・数学の「例題レベル」の問題では、1つの問題を解くのに1~2つの知識や考え方しか用いません。
しかし「実践レベル」になると1つの問題を解くのに5~10もの知識や考え方が必要となります。
このレベルでは、10必要な知識のうち9個まで使える状態でも、残りの1個が使えなければ得点が「ゼロ」になってしまうのです。
この「最後の1つ」が身につくまでには、それ相応の時間がかかります。

いま自分がどの段階まで理解できているのか?
10段階のうちどこまでわかっているのか?

これを明確にできていないから、
 「いつまでたっても得点が伸びない」
という状態から抜け出せないのです。

(3)日ごろの学習の問題③…テスト受験後の学習が間違っている

テストと名のつくものに対しては、常に全身全霊で臨むことが重要です。
たとえそれが10点満点の計算テストだろうと200点満点の過去問だろうと同じです。

全身全霊で臨んだのであれば、自分の力が通用したのか、どうだったのかと気になるのがふつうですね。
しかし最近の生徒はその多くが「やってやりっぱなし」「テストは受けて受けっぱなし」なのです。

これが次回のテストでの成績伸長の差に如実につながっているということを知らない子がなんと多いことか。
伸びる子は、テスト受験後の行動が違います。
受験したその日に解き直す。
答案が返却されたらまた解き直す。
1か月くらいたった忘れたころにまた解き直す。
この「3回復習」が、大きなテストでは特に重要です。

特に中高生が定期テストを解き直さないのは、教師側からすると非常に由々しき問題です。
定期テストは、理解度を確認するためだけに作られているのではありません。
受験を意識し、このテストをしっかりできるようにすれば必ず実力がつく!という問題セットを練りに練って作っている(はず)です。
そこのところを多くの生徒たちは理解していないわけです。

とある私立高校の先生が言ったという言葉。
『「実力テスト」とは実力を測るためのテストではなく、実力をつけるためのテストだから「実力テスト」っていうんだよ』
まさに、言い得て妙、ですね。

また、伸びる子はテストに対して目標やテーマをその都度設定して臨んでいます
だから、その結果を次回に生かすことができるのです。
たとえば「計算ミスを2個までに減らす!」とか「問題文を3回読む」とか。
はたまた「大問1~3の正答率を上げる」とか「○○の単元の問題が出たら必ず100%正解を目指す」などです。
そして、それが達成できたかどうか確認するわけです。

これがあるのとないのとでは大差が生じます。
まとめ ~テストを必ず解き直す~各種テストは、学力の評価のためだけに行われているわけではありません。
受験後に、点数だけ見て一喜一憂しておしまい、という子がなんと多いことか。模試や定期テストを受けて受けっぱなしというのが、最も学力向上を阻んでいるのです。
テストの解き直しノートを教科別につくってみましょう。
問題をコピーして貼り付け、そこに解き直しを実施します。
さらに失点の原因分析なども書き込めば完璧です。
そこまでやっている子は、必ず成績が向上していきます。

(4)テスト当日の問題①…テスト前の行動が間違っている

これは盲点です。
私は頑張っているのにテストの得点が伸びないという子に、たまに聞きます。
「テストが始まる前の5分間、どういうふうにすごしてる?」と。

特に定期テストなどでありがちなのが、友達と談笑したりして、緊張感が薄れた状態で臨んでいるという状況です。

テスト直前は気持ちを落ち着かせて、集中力を高めることが必要です。

これによりある程度ミスが減らせるようになります。

(5)テスト当日の問題②…テスト中の行動が間違っている

そしてここがもっとも重要です。

時間配分のしかた、見直しをしてミスを見つけ出す方法がわかっていない。

よく「簡単な問題から解きなさい」と言いますね。
しかしこれは、簡単な問題がいつも簡単そうな見え姿をしているとは限らないというところにひとつ難点があります。

難しそうに見えても意外と簡単だったり、またその逆(=易しそうに見えて意外と難しい)もあるわけです。

これもよく子供たちに話すのですが、算数・数学で問題が「簡単そうに見える」というとき、多くの場合それは「問題に与えられている条件が少ない」ということを意味します。
「与えられている条件やヒントが多いほど問題文が長くなって当然」と考えてみましょう。

つまり、意外にも長い問題や図が多い問題ほど簡単だったりすることがよくあるのです。

また、模試にせよ定期テストにせよ「全部の問題を解こうとする」子がとても多いですね。

無論、できるならば全問解けるに越したことはないですが、実際すべての問題を解き切ったとしても満点になるようなことはめったにありません。
「これはやったことがある!」という「経験済の問題」をまず確実にとること。
また、正答率の高そうな問題を得点することに時間を割くべきです。
難易度が高い問題であがいても結局正答に至らないケースは多いので、時間の無駄になってしまうのです。

「簡単な問題を落とさない」ことを意識して問題に臨んだ方が、結果として高得点につながりやすいのです。
まとめ ~正しいテストの受け方を覚える~私は拙著『算数のケアレスミスが驚くほどなくなる本』のなかで、「テストの受け方10か条」というものを紹介しました。
そのなかでも特に重要なのが以下の項目です。

いきなり解かない。まず全体を見る。傾向はどうか。問題は何問あるか。

解く順番と時間配分を考える。

だれもが正解しそうな簡単な問題で落とさない。

だれもが出来そうにない難しい問題で時間を無駄にしない。

残りあと5分になったら、新しい問題に入るのをやめて、最初の問題などの「ミスすると致命的になる問題」の見直しを行う。テスト問題を配布されるといきなり1問目から取り掛かる子が本当に多いのです。
最初に30秒ほど使えば、全体を見渡すこともできるし、時間配分を考えることもできます。
これが全体として得点向上につながります。
ぜひ意識してください。

なおケアレスミスを減らす方法については、別ページをご覧ください。

【 全体のまとめ 】
 フェイマスアカデミーでは、小学生から高校生まで『テストで得点を取れる』ような指導を心がけながら進めています。
 テストだけで終わらない真の学力を身につけるのが最終ゴールですが、まずはどんな生徒さんでも「高得点」を取りたいものですよね!
 そこから自信が生まれ、勉強が楽しくなってくるというものです。
 オンライン授業も行っておりますので、遠方の方でもご遠慮なくお問い合わせください。

「ケアレスミスがなくならないのですが、どうしたらいいのでしょう?」

 これは私が過去受けてきた学習相談のなかでも非常に多く、しかも解決法がはっきりしないものでした。そこで私はその問いに対し真っ向から向き合い、長年の経験を活かし、いくつかの答えを出しました。

 それが『算数のケアレスミスが驚くほどなくなる本』という2012年10月に私が上梓した本です。
 この本は「算数」とテーマをくくってありますが、実際には小学生に限らず、中高生にも通用する重要な内容をまとめてあります。

 そこでこのページでは、その本に私が記したことを元に、いくつかの実例を挙げながらケアレスミスの対策について考えていきたいと思います。

1.ケアレスミスはなぜ起こる?

 いやな響きですね。
 でもケアレスミスは必ずしも「悪」ではありません。
 ケアレスミスに向き合い、ミスを大切にすることで初めてミスしない状態がつくり出せるのです。
 私は「人は失敗からしか学べない」という立場に立ちます。
 その意味ではミスは成功の母、欠かすことのできないものなのです。 さて、ミス(ヒューマンエラー)にも様々ありますが、すべてのミスに共通することがひとつあります。

 それは「習慣化した無意識の行動のなかで発生する」という点です。

 第一に「習慣化した行動」について。

 人間は、初めてのことには、それなりの慎重さをもって臨みます。
 しかし、毎日していることや、いつも同じプロセスを経て行うことに対しては、あまり注意が向かなくなります。
 ここで生じるのが「ケアレスミス」です。

 いつもやっていることに対しては過信が生じます。
 これがミスの確率を大幅にアップさせるのです。

 第二に「無意識の行動」について。

 意識せずにとる行動というものがあります。
 たとえば、家のなかを歩くとき、わざわざ足元を見て歩いたりしません。
 また、いつも通っている学校に通学するときや、会社に通勤するときにいちいち通勤経路を確認したりしませんね。

 ほかにも無意識の行動はたくさんあります。

 その多くは慣れているためにミスはしません。
 しかし、その行動のなかに、少しだけいつもと異なる要素(=変化)が加わることで、ミスの確率が上がります。
 算数数学でいえば、少しだけ数字設定が変わったり、条件が少なかったり、図の向きが異なったり。 その「小さな変化」に注意が向いてしまい、いつも行っている計算や作業 に向けていた注意が低下します。
 その結果、いつもならできることに対してミスが出るのです。

 人の注意力には「総量」というものがあります。

 10の注意力がある人が、いつもと異なる「小さな変化」に5の気を取られてしまえば、残った5の注意をもってして正解することが難しくなります。
 一方もし、もともとの注意力が15の人がいるとすれば、同じ場面でも10の注意が残ります。

 ということは、もともとの注意の総量を高めておくことができればよいということになります。
 これが「無意識を意識下におく」ということです。

 ふだん意識していないところまで意識して臨めば、注意の総量が上がり、失敗する可能性が下がります。

 とはいえ、無意識をコントロールするのは難しいことです。
 まずは無意識の行動を無意識だと認識すること(メタ認知)から始める必要があるのです。

 たとえば野球のピッチャーにとっては、ストライクが正解でボールがミスだといえるかもしれません。
 ところがプロ野球の投手であれば、ストライクとボールを自在に投げ分けることができますね。
 これがコントロールです。
 「コントロールする」とは、好きなときに始めて、好きなときに終わらせることを言います。

 ボールを投げるというのは、意識的にミスするということです。
 これができる人だけが、ミスを意識下におくことができるのです。

 算数数学でいえば、反射神経的に問題を解くのではなく、その都度立ち止まって手の動きをコントロールすることが重要だということです。

2.ケアレスミスの種類を知る 

ケアレスミスの種類を知る算数・数学のミスは以下の5つの段階に分類できます。

みとり」のミス(いわゆる問題文の読み間違い)。

りだし」のミス(使うべき知識・公式・定理を取り違える、使い間違える)。

いかえ」のミス(文章を立式したり図や表に直していく段階でのミス)。

すびつけ」のミス(演繹的思考、帰納的思考におけるミス)。

めくくり」のミス(ほとんどが計算ミス)。

 これらは「算数数学で必要な5つの力~よわいむし~」と対応します。
 ※このHPのアドレス「yowaimushi.com」はこの「よわいむし」の5つの力に由来しています。

 我が子(もしくはあなた)が「よくやるミス」がどのタイプなのかをよく知ることが、ケアレスミス克服への近道です。

3.ケアレスミスの克服法

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 これはぜひ『算数のケアレスミスが驚くほどなくなる本』をご一読いただきたいのですが、ここではひとつだけ指摘しておきましょう。

 実は、努力によって誰にでもケアレスミスを減らすことが可能です。

 その方法は、解法選択において常に「ミスしにくい方法」を選ぶことです。そしてそのための方法を学び貯えることです。

 これはある意味「守りに入る行為」と言えるかもしれません。
 しかし、こと算数数学においては「攻撃より防御」が圧倒的に重要です。

 サッカーや野球などのスポーツは、点数を加算していきどこまででも増やせます。
 一方、算数数学の得点というのは満点が決まっていてそこから減点されるスタイルがふつうです。

 ですから、失点をいかに防ぐかが勝負になるのです。
 これが「攻撃より防御が重要」と言える理由です。

 それぞれの単元や分野において、ミスしにくい解法というものが存在しています。

 単に思いついた解法の流れに乗ってなんとなく解き進めるだけでは、決してスピードアップやミスの減少は望めません。問題の解法を割り出す際に、ミスしにくい方法を選択することが重要なのです。

 「全自動洗濯機」ならぬ「全自動選択機」のようなお子さんがいますが、やはりケアレスミスが多い傾向にあります。

 選択を手動にすることがケアレスミス克服の近道です。

 その具体策は、塾の授業のなかで長い時間をかけて学んでほしいと思います。

さてここでは、これまで私が算数・数学を教えてきた5000名以上の生徒たちについて見られた「こんな生徒は算数・数学が苦手だった」という共通点にスポットをあて、その対策を考えることにします。何か新しいことをするより、これまでやっていた悪習慣をやめればいいんです。こんなに楽なことはないですよね。

なお私が2015年秋に出した【こちらのチラシ】も参考になると思います。ぜひごらんください(pdfファイルです)。

1.授業の受け方

授業の受け方授業というのは学校・塾の授業どちらにもあてはまります。

(1)先生の板書を写すことが授業でもっとも大事なことだと思っている。

我々教師が願うこと。
それは、とにかく授業を「聴いてほしい!」ということです。
ノートを書いてほしいだけなら、プリントにして配布すれば済みます。
黒板やホワイトボードに書いた板書を写すことが授業を受けることだと思っている子がなんと多いことか!
正しい解法だけを書き写して帰るだけなら、参考書を買った方が、塾や学校に授業料を支払うよりもはるかに安上がりですよね。
みなさんは、先生がしゃべって説明することを聞くために、授業料を払っているんです。
まずこのことを忘れないでください。

書くより聞く。

この意識を持つだけで、今よりも算数・数学が格段にわかるようになりますよ。
なぜか。
算数・数学の解法とは、問題文を言いかえて答えまで言いかえていく作業です。
その解き方の過程(式と式のつながりや論理のつながり)を、教師はすべて板書するわけにはいかないのです。
どうしても「省略」が生じます。
そこを授業では語りで補っているのです。
ですからそれを聞き逃してノートを写すことだけに一生懸命になっていると、あとからそのノートを見てもなんのことかわからないのは当然でしょう。

(2)ノートに書く図が小さい。

図で考える

私に言わせれば、図を書かないで解決する算数・数学の問題は、計算問題をはじめとする2割程度です。
ある程度わかりやすいと定評の先生なら、図が非常に多いはずです。
ところがその図を、なぜか面倒がって書かない子がいます。

まず、解法のプロセスを導くためには、図は式より重要だということを理解してください。

さらにその図を、虫眼鏡が必要になるくらい小さく書く子が多いのです。
面倒なんでしょうね。もしくはペンのインクを節約したいのでしょうか。
私は、B5版のノートなら1ページに図は3つまでにするよう言っています。

図が小さいことは理解の妨げになります。

ただ、大きく書くと雑になりやすいので、しっかり定規を使うようにしましょう。
定規の使用にかんしては諸説ありますが、私は常に定規使用をすべきだと考えています。
これは、そのほうが正確に描けるからです。
図が正確だということが、正確な理解につながるのです。

「もちろん入試本番で定規が使えないこともあるのだから、ふだんからフリーハンドに慣れておきなさい」という言い分もわからなくはないですが、定規を使って正確に書くことができる子は、フリーハンドもきれいなんですよ。

図は、手で書いているのではなく、脳で書いているのです。

正確な図が脳にインプットされている子なら、フリーハンドに慣れていなくても、正確に書けるものなのです。

(3)質問をしない。

これも、よく保護者の方から相談を受けます。
「ウチの子、引っ込み思案なので質問ができないんですよ」と。
でも、そんなこと言い訳にすぎません。
本気で苦手克服をしたいなら、できることは何でもしなければ!

インプットがほとんどのグループ授業においては、アウトプットが特に重要になります。
ちょっとでも理解につまったときには、積極的に質問をしてください。

質問のしかたは、こうです。
1)「?」と思ったとき、ノートや問題集の該当箇所に「?」マークを大きくつけておく。
2)それを先生に見せながら「?」のところがよくわかりません、と聞く。

たったこれだけ。
質問文を考えるのが苦手な子でもこれなら簡単ですね。
ふつうの先生なら、生徒が理解に苦しむポイントを把握していますから、「?」マークから意味を理解して、質問を引き出してくれるでしょう。

いい先生なら、質問すると、倍返しされます。
「これがわからないということは、こっちもわかってないよね?」
という具合にです。

質問しない手は、ないのです。

2.家庭学習

私は『算数のケアレスミスが驚くほどなくなる本』にて「おにのかけあし」という、家庭学習における7つの習慣づけを提唱しています。これらは小学生に限らず、中高生にも必要なことです。

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その7つとは・・・
(それぞれの細かい内容については、ぜひ書籍をご購読ください)

 お・・・音読する
 に・・・2:6:2の割合で解く
 の・・・ノートはぜいたくに使う
 か・・・解答集を読む
 け・・・消しゴムを使わない
 あ・・・暗算練習をする
 し・・・試験結果を活用する

 ですが、これらは基本姿勢ができている子にこそ効果的なのであって、そうでない子にとってはまだ先の段階の話です。
 よってこのページでは、その「基本姿勢」についてスポットをあて、書きました。
 特別なことはありません。どれも当たり前のことです。
 でも、それができるかどうかが、大きな分岐点になるのです。

(1) 宿題をするのが、イコール勉強だと思っている(先生も、親も)。

宿題というのは「やらされ仕事」。
教師・親というものは子どもが「宿題を出さないと何もしないのではないか」という不安があるから、宿題を出さざるを得ない。でも、明らかに「出し過ぎ」という場合がある。
宿題の出し過ぎは子どもの自主性を奪うばかりか、その宿題自体を「作業」に成り下がらせる。
本当の「あるべき家庭学習」というのは、こうです。

授業で聞いた問題は「理解」できた。でも、まだしっかり「納得」するには至っていない。そこで、家でもう一度教科書を読んでみよう。
自分でもう一度読み直したら「納得」できた。でも、また次に同じ問題がテストで出たらできるかどうか不安だ。
そこで「実践」してみるのです。
できなさそうな問題を選んで、解いてみる。
ひとつひとつの問題をしっかり考え、その根拠を探り、さらには類題を自分で探して解いてみる。
解説を読み、再度教科書や参考書に戻って、自分の解き方との差異を考える。

自分の力を常に疑いながら「理解」⇒「納得」⇒「実践」⇒「確認」のステップを、しっかりと踏んでいく。
これが、特に算数・数学における、本当のあるべき家庭学習です。

「そんなことを小学生からできていたら、ちょっと気持ち悪い!」なんて声も聞こえてきそうですね。
いえいえ、実は低学年の子ほど、意外とできているんですよ。
逆に高校生でもできない子はできません。

小2・3くらいの子って、納得しないと次にいけないってこと、ありませんか?
小さいころは、目の前のことに納得しないと気が済まない。
でも年齢が上がるにつれ、自分の未理解を、誤魔化すようになってしまう。
わかったふりをしてしまう。
先に進むために。
とにかく与えられた量をこなすために。
これが「作業」のもたらす悪影響です。

やはり、量が増えると、質が下がり始めるんですよね。
宿題に関しては、次の方程式が成り立つかもしれません。

【 量 】×【 質 】=【 時間 】

さあ、どうでしょう? この式は正しいと思いますか? 考えてみて下さい。

(2) 解くだけで、答え合わせをしない。

つぎに、学力アップを阻んでいる2つめは、これ。
どうしてなんでしょう?
私はいつも疑問です。
問題を解いて、正解か不正解か、興味ないんですかね!?
多くの子が、答え合わせをしようとしないんですよね。
推理小説を読んでいて、犯人が誰か、知りたくないんでしょうか。
料理をつくって、おいしくできたかどうか、味を確かめたくないんでしょうか?
ゲームのプログラムを完成させ、ちゃんと動くかどうか確かめたくないんでしょうか?

ふつう、これらすべて、やりますよね。

でも、算数・数学だと、答え合わせをしてこない子が多い。
正解だろうが不正解だろうが、どっちでもいい。
つまり、「とにかくやりゃいいんだろ!」というような態度。
これが「宿題が作業になっている」という証拠。

答え合わせをして、正解した問題から学ぶことは少ない。
不正解だった問題からしか学べないのだということを、子どもたちは知りません。
この点を、ぜひ教えてあげましょう。

まあ、要は「楽しくない」ということでしょうかね。
答えを求めること、それ自体が。
では「答えを求めるのが楽しい!」という状態を生み出すには、どうしたらいいと思いますか!? 理科実験が好きな子って、多いですよね。
算数だと、なぜあのように目がキラキラしないんでしょうね。
塾・学校の教師や親が、算数・数学でワクワクした経験がないから、それを伝えられないんでしょうか。

ほかにも理由はありそうですね。
他のページも参考に、考えてみて下さい。
いずれにせよ、正解・不正解のその先にあるものをしっかり親・教師が見せてあげないと、○つけもしてこない子を育ててしまうわけですね。

(3) 答え合わせをするだけで、解き直しをしない。

これもありますね。
どちらかというと、(2)よりも多いですね。
このタイプが最も多いということは、この「答え合わせはするが解き直しはしない」という状態が偏差値50前後の子の状態であることを意味するでしょう。

偏差値40⇒宿題をやらない
偏差値45⇒宿題はやるが答え合わせをさぼる。
偏差値50⇒答え合わせもするが解き直しをしない。
偏差値55⇒解き直しをするが、そこで満足。
偏差値60⇒解き直しもして、さらに他の問題集で再確認。
偏差値65⇒自分の解けない問題が7割程度の問題集にチャレンジしている。しかも解き直しもしっかりやる。

もう一度書きますが、不正解からしか学べません
×を○にすることで初めて階段を1段上ったことになるのです。

(4) 一気にやる。コツコツやらない。つまり無計画。

宿題に限らずですが、勉強を一気にやる子って多いですよね。
算数・数学の力を伸ばしたければ、勉強をごはんのようなものだと思ってください。
1日にごはんを90杯食べるより、1か月に3杯×30日にしたほうが成長につながりますよね。
スポーツなどでも同じですよね。

一気にやった勉強というのは、詰め込んだ分だけ出ていってしまうのも早いものです。

一夜漬けして覚えたことって、長期記憶としては残りませんよね。
私自身、中学高校のころ、嫌いだった社会科で「一夜漬け」をよくしました。
でも「一夜漬けしてがんばった!」という記憶しかありません(笑)。

ですから、学校で定期試験が近づいてきたときに、

 「おまえ何時に寝た?俺なんか朝5時までやってたよ、すげーだろ!」
 「うそ~私なんて夜10時に寝ちゃったから不安!」

などと、夜更かし自慢してる子は危ないってことですね。
(この場合、勝つのは下のセリフの子です)

計画をたてるのが苦手な子が非常に多いですね。
小中高、学年を問わずです。
要はPDCAのサイクルを作れないのです。
勉強は行き当たりばったり(PDCAのPがない)。
やるかやらないかも気分次第(PDCAのDがない)。
正解・不正解のチェックもしない(PDCAのCがない)。
これでは成績向上は望めません。

子どもの将来のためにも、親・教師は、この「計画の立て方」を子どもたちに教えてあげなければなりません。
勉強だけ教えていているようではダメなのです。

 効果的な○×チェックのしかたはこちら【福嶋のブログ14/04/26】をぜひ参考に。
 PDCAについては、こちらのページ【計画力を身につけよう!】もご覧ください。

3.テストの受け方

テストというものに対する心構えひとつで算数・数学の成績や得手不得手は、大きく変わります。
私は『算数のケアレスミスが驚くほどなくなる本』にて「うしもおたふく」という、テストの受け方・7つの行動を提唱しています。これらは小学生に限らず、中高生にも必要なことです。その7つとは・・・

careless

※それぞれの細かい内容については、ぜひ書籍をご購読ください。

 う・・・疑う
 し・・・深呼吸する
 も・・・戻る
 お・・・思い出す
 た・・・立ち止まる
 ふ・・・俯瞰する
 く・・・繰り返す

ですが、これらはテストの受け方のもっと基本的なことができている子にこそ効果的な内容です。
ここでは、より当たり前の基本姿勢について述べます。
でも、それができるかどうかなんですよね、結局は。

(1)答案は全部埋めるのが正しい!と教えられている。

 答案が全部埋まっている子で成績優秀という子を、私はあまり見たことがありません。
 実は、空欄があっても、正答率が高い方がいいのです。
 これを「何がなんでも全部埋めろ!」と教え込む親・教師がいますが、これは間違いです。
 なぜなら「答案を全部埋める」という行為は「自分の学力」と「問題難易度」を客観的に知ることができていない証拠だからです。
 「自分の学力」を把握していれば「この先に問題は自分には解けない」と考えることで、すでに解いた問題の見直しに移るはずですし、また「問題難易度」を解く前に見抜くことができれば、ムダな時間をかけることも、ないはずなのです。
 答案を全部埋めた結果として、とれるはずの問題を落とし、悲惨な結果を招くのです。

(2)時間配分を考えない。

テストというものには必ず制限時間があります。
制限時間内でいかに高得点をとるかを考えなければなりません。
ところが、こどもたちは「始め!」と言われるやいなや、一番上の問題から解き始めます。
そして合格点にたどりつくために必要な問題まで手が届かずに終わるのです。

これはあたかも、始まるや否やただひたすら攻め続けるだけのサッカーの試合を見ているようです。
もっともサッカーをはじめとするスポーツは満点というものがありません。
攻めの姿勢は大事です。

しかし、こどもたちが受ける「テスト」と名のつくものは全て、100点や150点という満点が決まっています。
ただひたすら解きつづけるという攻めの姿勢だけでは、高得点は望めないのです。
いかに「とれる問題」で得点を稼ぎ、「とるべき問題」を落とさないよう防ぐか。
すなわち守りの姿勢を含めた攻防のバランスこそが勝敗のカギを握るのです。

このことに、親・教師は、早く気づかせてあげてください。

こどもたちの体内時計は、えてして不正確です。
ですが、当の本人はそんなこと、まったく気にしません。
「できるところまでいけばいいや」という姿勢です。
50分なら50分という1セットの時間枠のなかでの戦略を考えられる子だけが、合格(点)を手にするのです。

(3)自分の答案を信じている。

「自分を信じるのはいい。だが、自分の答案は信じるな」

これは、私が入試直前のこどもたちに、必ずかける言葉です。
人間である以上、ミスというものは完全にはなくなりません。
ですが、減らすことならできます。
大事なのは「疑う姿勢」です。
常に「自分の答えは間違っている」という立場から答案を眺めることです。
疑いすぎるくらいがちょうどいいのです。

「疑うことのできる自分」になれた暁には、そんな自分を信じてもいいのではないでしょうか。

4.使ってはいけない道具や教材

鉛筆、消しゴム、ペン、ノート。そして参考書、問題集。
物の選び方や使い方も、成績に大きな影響を与えます。
ひとつずつ見ていきましょう。

使ってはいけない文具

文具(文房具)といっても様々ですよね。
重要なのは「筆記具」と「ノート」です。

消せるペン… ミスを訂正するための赤ペンに、消せるものを使っている子を見かけますが、これはあまりよろしくないですね。「消せる」という安心感があるので間違ってもいいやという気持ちが生じやすいところが問題です。特に赤ペンは油性でしっかりした消せないものを使いましょう。

不透明な定規… 定規は透明で、余計な飾りがついていないものがベストです。
 何やらでこぼこしていて定規の機能を果たしそうもないような一品もありますが、まっすぐな線を引くためのものなので、まずはシンプルなものにしましょう。また、透明でないと下に書いた図や文字が見えなくなりますので×です。
 ちなみに私は定規使用推奨派です。
 関数のグラフなどの図を定規なしで正確に描くのは困難です。
 正確な図を日頃から書いて、脳がキレイな線の感覚を覚えれば、フリーハンドでキレイな図が書けるようになります。
 つまり図は手が書いているのではなく脳が書いているということです。
 「ふだんから定規を使っていると本番で定規が使えないからまっすぐ線が引けなくなるよ」というのは謝りです。ふだんから定規を使っているからこそ、その形状を脳が記憶していて、まっすぐに線が引けるようになるのです。

小さな丸い消しゴム… 消しゴムなんて小さくなるまで使わなくていいと思います。たくさん買ってあげてください。
 まあもっとも消しゴム自体、あまり使わないほうがいいのですがね。
 消しゴムを使うと自分のミスをも消し去ることになり、ミスから目を背けやすくなるというデメリットがあります。私はたいてい、間違いを消しそうな子にはすぐさま「消さない!」と言って再度書かせます。ミスは消さずに、必ず赤で直すのです。

カラフルなペン… よくペンケースの中に、使いもしないカラーペンをたくさんつめこんでいる子を見かけます。
 教師のする板書というものは、基本的には基本色である黒(黒板なら白)以外に3色(青・赤・黄)程度のはずです。
 ところが生徒のノートはフルカラーで7色程度使われているなんてこともある。特に女子。
 多すぎる色は思考の邪魔になります。
 「色の使い過ぎ」には要注意ですね。
 ふつうは赤・青・黒・(緑)くらいで十分でしょう。4色ペンが主流だというのには理由があるわけです。

丸い鉛筆… これはもう、本当にやめてください。
 授業中に床にコロコロと落とすのです。
 どうしても使いたければ落ちないキャップをつけてください。
 そのほうが「落ちない」ので縁起もいいですよね。

ルーズリーフ… 私はルーズリーフを小中学生が使うことを基本的に禁止しています。基本的にと言ったのは、管理がしっかりしている子ならOKということです。
 ですが、総じて子どもというものは、本当にプリント類の整理ができません。
 ただでさえプリントの整理ができない子がルーズリーフを使ったらさらにルーズになること間違いなしです。

キャラクターつきノート… ノートの書く面にキャラクターの絵が印刷されているようなものは避けましょう。得てして、絵がじゃまで図が見えにくいとか罫線が太くて字が見えづらいなどの副作用があります。
 ノートは、算数は方眼罫、数学になったら7~8mm罫線の大学ノート(白)がベストです。最近流行の「ドット入り」も悪くないですけどね。

裏紙… 意外かもしれませんが、ノートは使わなくていいなどという指導をしている「トンデモ先生」がいます。ノートとは、人間がすべてを記憶できないので、重要なことを記録しておくための重要な道具です。全教科で必ず使いましょう。
 ましてや「算数・数学を家で勉強するときはチラシの裏などにやればいい」というようなことを言う親御さんもいらっしゃるようですが、本当にやめてください。
 「裏紙」とは言ってみれば「ゴミ」ですよね。
 「ゴミ」になる用紙に、数学の解き方や計算過程をしっかり書こうと思いますか?
 自分のミスの形跡を残しておくこともノートの重要な役目です。
 裏紙学習だけは絶対にやめてください。

ちなみに… ノートを節約する子は、学力が向上しない傾向が強いです。
 余白がムダだと思って詰め込んで書くような子は、余白の意味がわかっていないのです。
 本文を見やすくするために余白があるわけで、そこを埋めてしまったら見づらくなりなんのためにノートを書いているのかわからなくなってしまいます。
 くれぐれも「ノートはぜいたくに使う」が正しいということを知っておきましょう。

(2)ダメな教材

解説が貧弱な教材 ここでいう教材とは、家庭学習用教材のことです。
 学習塾や予備校で配布される教材は、教材だけで指導効果が上がるように作られてはいません。
 「教材+教師」の相乗効果で初めて成果に結びつくようになっています。
 基本的に塾や予備校のテキストというのは問題集スタイルのものが多いですが、これは解説を先生がしてくれるので、詳しい解説や導入文などが不要になるからです。
 逆にいえば、こういう塾用教材と同程度のリード文や解法しか載っていないような参考書・問題集はひとりで学習するのには向きません。
 わからなくなったときに、語りかける言葉が聞こえてくるような本を使うことが重要です。
 算数・数学で大事なのは「解き方」の過程です。
 これを示していないようなものは購入しないほうがいいでしょう。
 たとえば「教科傍用」と称する安価な問題集があります。
 これ自体は決して悪くないのですが、実際には教科書と併用しても、わからない場合があります。
 それは、教科書を超える問題が扱われていることもあるからです。
 それらを使う場合は学習塾などで質問できる環境のもと、活用することが重要です。

学力に合わない教材 これは当たり前と思われるかもしれませんが、実は意外とわかっていない人が多いポイントです。
 たとえば、良い例は「チャート式」という参考書兼問題集です。これは古くから有名で当塾でも採用していますが、これはレベルが4段階(白⇒黄⇒青⇒赤)に分かれていますので、実力や目的に合わせて使うことができるのがメリットになっています。
 一方、シリーズ化されていない単独で作られた問題集や参考書は「できるだけ多くのひとに買ってほしい」という著者の想いから、レベル別の問題がすべて掲載されている(1冊にまとまっている)ことが多くあります。
 すなわち、自分のレベルに合った問題だけでなくやる必要もない無駄な問題もたくさん収録されている可能性があるということです。
 このことに関連して、私は2:6:2の法則というものを提唱しています。
 まず、自分の実力がどのレベルなのかを模試の結果などから判断します。
 仮に偏差値50程度の子であれば「基本問題が2割、標準問題が6割、発展問題が2割」といった割合で収録されている問題集がもっとも学力向上に寄与するということです。
 無論、基本問題が解けないレベルであれば「基本問題が6割、標準問題が2割、発展問題が2割」程度のものがよいでしょう。
 しかしながらこれらは自分で選定するのが難しいときもあるでしょうから、塾の先生や学校の先生に聞いてみるのも一つの手です。

分かりやすすぎる教材 「わかりやすい本は、よい本だ」という点については、一般的に誰も疑いを持たないでしょう。
 しかし私は、この点に疑問を持っています。
 なぜかというと「わかりやすすぎる」=「自分で考えなくなる」という可能性があるからです。
 ひとは、全てが与えられると自ら動こうとしなくなるものです。問題集も然りです。
 先に「解説が詳しいものを」と述べましたが、詳しすぎるのもデメリットがあるわけですね。
 行間を読むことも思考訓練のひとつであり、学力向上には欠かせない、ということです。
 また、算数・数学では条件の数値が計算しやすかったり、解きやすい問題(=「丸い問題」)ばかりが収録されている問題集も危険ですね。
 少し「トゲのある問題」が入っているようでないと思考力を鍛えることはできないでしょう。

 ・・・以上のようなポイントを意識して教材を選び、学力増強に役立ててください。

念のため初めにお断りしておきますが、このページは、どこか特定の会社組織を批判するような目的で書いたわけではありません。ここで私が述べたことは、塾業界全体の問題として私が普段から意識していることであり、この内容が皆さまの塾選びの判断の一助となれば、との想いで書き下ろしたものです。

今、すでにお子様を塾に通わせている方。これまで通わせていたけれど、やめてしまった方。あたらしく塾を探している方。いずれにせよそのような「塾に興味があるお母さん・お父さん」にとって、このページは必読です。ぜひ最後までお読み下さい。


「大手だから安心」という構図は大間違い

皆さんは、月にいくらまでなら、わが子のために投資できますか?3万?5万?10万でしょうか!? そしてそのような大きなお金を毎月支払い続ける「学習塾」を、どんな基準で選びますか?

「成績が向上する塾」「楽しく通える塾」「費用対効果の高い塾」――などなど様々あると思いますが、「塾の規模」についてはどのようにお考えでしょうか?

「大手だから安心だろう」「みんなが行っているからきっといい塾だ」というような曖昧な理由だけで大手塾を選んでしまう人が実は非常に多いということを、あなたは知っていますか?

「大手塾」と「個人塾」。一般に「大手企業」と聞くと良いイメージが先行します。しかし、こと学習塾というものは無形のサービスを売る商売であり、品質についての判断が非常に難しい業界です。ですから、ベールに包まれてなかなか見えてこない「大手ならではのデメリット」について知っておくことが必要なのです。

ではまず、大手学習塾のメリットは何でしょうか? 様々なメニューがあり顧客ニーズに対応しやすい。情報量が多い。環境が整っている。教材・模試などが比較的しっかりしている。また、安全面である程度の安心感を確保できる。経理面のルールなどがしっかりしている。…などなど様々な良い点が挙がるでしょう。

一方、デメリットは何でしょうか? 答えは、大別して3つあります。1つめが「教師の質」、2つめが「ムダが多い」という点、そして3つめが「正社員は皆、教師である前にビジネスマンである」という問題点です。――では順に見ていきましょう。 


大手学習塾の3つの弊害① ~教師の質~

雨

1つめの「教師の質」について。これは、ほとんどの大手塾がはらんでいる問題です。小規模多店舗展開で組織が大きくなると、人件費の問題から専任教師(≒正社員)を減らさざるを得ません(教室数が増えても社員数を同じだけは増やせない)。それにより学生教師を雇う割合が高くなり、全体の品質が低下します。

学習塾によっては専任教師の割合が高いところもわずかながら存在するようですが、ほとんどの大手塾はそうではありません。つまり「18歳の大学1年生が15歳の中3生を教えている」といった状況、すなわち「子どもが子どもを教えている」というのが、ほとんどの塾の実態なのです。そして多くの方がそのような塾のサービスに対して疑いもなく月に何万も支払っているわけです。

このような実態をあまりご存知ない方が、意外と多くいらっしゃいます。これはなぜかというと、多くの場合学生サイドに対して「学生であるという身分を明かさないように」と運営サイドからクギをさされているからです。

無論、すべての学生教師の指導の質が低いわけではありません。プロ顔負けのスゴ腕学生教師にも、私はこれまで何人も出会ってきました。また、かくいう私もかつては19歳から学生教師をしていたわけであり「学生だからこそ」のメリットもたくさんあることを私自身、知っています。

よく聞かれる例としては「若い先生のほうが身近なお兄さんお姉さんのような存在で、ひとりっ子の我が子には合っているのよ」とか「学習している内容やターゲットにしている学校のレベルが今の子どもに近いので対策が的確」といった声でしょうか。また「バイト学生で若くても将来を嘱望される高学歴の学生が多い業界だし、ヘタな正社員よりもいいのでは?」などという皮肉っぽい声も、一部から聞こえてきたりします。

とはいえです。次のような厳しい現実も存在することを、誰も否定できないはずです。


 学生教師中心であることの「デメリット」 

(1) 学生教師のほとんどは、「大学の授業・サークル・就活」などの自己都合優先である。学生側からすれば本職は大学生だからこれは当然の権利。しかし中には「塾教師」という仕事の責任の大きさを理解できず頻繁に代講を出したり、数か月間だけ働いて軽い気持ちで退職してしまうような学生も少なくない。

(2) 大学の学期ごとの履修申告は、多くの場合春と秋に行われるが、大学の時間割が決まるまで塾の勤務日が決められない。だから「3月に1か月だけ暫定で担当していた教師が4月から突然来られなくなる」というような、俗にいう「先生がコロコロ変わる」という現象が起こる。さらに学習塾のバイトをしたがる「学力の高い学生」ほど、大学の授業もしっかり休まず受講していたりサークル活動にもマジメに参加しているので、塾の生徒たちはあくまでも「二の次」「三の次」となってしまう。従って様々な授業関連の準備業務なども中途半端になりやすい。

(3) 学生教師はたいてい大学1年で初めて大学4年まででやめるので、始めたばかりの1年目は未熟な授業とおどおどした保護者対応、2~3年たっても、多くは週に1~3日の勤務を数年間続けただけなので、受験や教科指導に関する十分な知識や経験が、なかなか身につかない。保護者対応についても、対等な立場で親の不安を解消できるような「頼れる相談相手」になるのは難しい。そのうえ、やっと仕事を覚え1人前になったころには就職が決まって、サヨウナラ。積み重ねた経験や知識はそこでおしまいになってしまい、伝承がしっかりなされずに、また新しい「大学1年生教師」に引き継がれてしまう・・・。


いかがでしょう。ここまでお読みになり、中には「そうだったの?!」と驚かれた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、実は大手になればなるほど、このような学生教師主体の塾が多いのです(高校生指導の塾でさえ、年齢が生徒と1つか2つしか違わない教師を雇って数万円もの月謝をとっているところもあります)。

学習塾という業界は、その現場におけるマンパワーの7~8割が非正規労働者(アルバイト)で成り立っています。特に個別指導塾はそのほぼ100%が、大学生・大学院生などの非常勤教師を中心に運営されています。そうでなければ正社員の人件費だけで会社がつぶれてしまうからです。

しかし、本当にこれでいいのでしょうか!? コンビニのバイトと同じ感覚で塾教師をやっている学生に、あなたは月に何万円もかけて、大切な我が子をこれからも預け続けますか? 一生に一度の入試を託しますか?

鎌倉

実は、多くの塾の現場責任者は「こどもを育てる前に教師を育てなければならない」というある意味矛盾した状況に、常に頭を抱えているのです。経営者サイドも、あの手この手で「人件費を削減しつつも何とか学生教師のクオリティを高められないか」と研修強化等の手段を講じて努力しています。

しかし、私が考えるに、限界というものが必ずあるのです。「塾教師の道をライフワークにしよう」と思っている学生ならまだしも、副業でやっている人間にいくら研修を強化して施しても、たかがしれているのです。

またそれが仮に教師になりたいという夢をもつ学生だったにせよ、生徒たちは学校や部活が終わって疲れているのにわざわざ受講料を支払って塾に行くわけで、その学校が終わってから受ける授業の担当教師が「学校教師を目指している<教師の卵>」だったりするというのは、構図としておかしいですよね? 少し極端な表現をすれば、よく学生が教員免許取得のときに行う「2週間の教育実習」が年中行事になり、塾生たちは常に教育実習の練習台にされている、という言い方もできるわけです。

そろそろこの節をまとめましょう。ここで少し、あなたやあなたの家族の体調が悪くて、病院を探すときのことを考えてみて下さい。あなたは「大病院に行きさえすれば、的確な治療が受けられる」とお考えですか!? ほとんどの方の答えは「No」でしょう。

私は医療界のことについては素人なので断言はできませんが、大病院であればあるほど、検査などの段階で経験豊富な医師よりも新人の研修医に当たる確率が高くなるという話があります。ご自身や家族の大切な健康を守ってくれる医師ですから、できれば経験豊富で判断力も確かな、そしてコミュニケーション力の高い「優秀な医師」に診てほしいと思うはずですよね。そして「そのような医師はどこにいるのだろう?」と探してみると、意外と街の開業医に行きついたりするわけです。

これは学習塾の規模が大きくなるほど「研修中の学生教師」が大量に存在する構図と似ています。本当のプロ教師は「街の名医」同様、もしかしたら大手塾よりも独立開業した人の中にこそ、たくさんいるのかもしれません。

――ここまで、たくさんの批判的な言葉を並べましたが、間違えないでいただきたい点があります。それは、私が批判しているのは学習塾を運営する企業各社であり、学生諸君ではないということです。

なぜ学習塾の多くは、ネクタイの締め方もよくわからないような初心の学生に対しスーツを着用させ、大人のように見せかけ、学生であることを隠させるのでしょうか。確かに経験値や社会的見識に対する習熟度は低いですが、学生教師には学生教師の良さがあります。学生に「自分の身分を隠せ」などと指示するのは失礼な話だと、私は思います。

学生なら学生と標榜し、それなりの価格設定に抑えればいいだけのことなのです。既にそのようにしている塾もいくつかあります。ぜひすべての塾に、適正な費用対効果を生み出し顧客の様々なニーズに答えられるようなシステムや改革スキームを、つくってほしいものです。


大手学習塾の3つの弊害② ~ムダが多すぎる!!~

ムダな企画、ムダな教材、ムダな機材、ムダな講習。――学習塾の世界にも、多くのムダが存在します。順に見ていくことにしましょう。

(1)「ムダな企画」

大手学習塾はM&Aの波に飲み込まれつつあります。また業務資本提携も盛んです。そうすると出てくるのが、「他社と共同の企画」です。テスト・イベント・教材開発に至るまで、共同作業でやろうとします。提携先企業との関係を良好に保つためです。しかし、個々の教室現場は、これらの企画を活用しきれていません。少なくとも「あれもこれも」になってしまっている以上、せっかくひとつひとつの企画が素晴らしく意味のあるものであっても、通塾する生徒のためになっていない以上、それらはムダに終わっているのです。

これは個人塾などではありえません。テストなど、1人の子に4種類も5種類も必要でしょうか? ムダなテスト企画が増えるほど、生徒たちが混乱している現場が目に浮かびます。また「○○ゼミ」のような企画ゼミもムダに多い。繰り返しますが、ひとつひとつは、確かにいいものなのです。でも、それを「あれもこれも全部受講させなさい」というのは、無理な話です。なぜなら、子どもたちの時間や労力には限界があるのですから。

学習塾たるもの、商品の柱である通常授業で9割方の実力をつけさせ、たまに、ヤル気が起きない子に対するイグニッション役としてちょっとした企画を行う、または同じことの繰り返しだと新鮮な刺激が必要になるので月に1回のイベントを開催する、その程度でいいのです。

(2)「ムダな教材」

教材も、ムダだらけです。中学生の1つの教科に5~6種類もの教材があったりする塾も存在します。それほど多くの教材、教師でも使いこなせません。ましてや部活が忙しい中学生などであればなおさらです。教材を作る出版社とそれを採択する学習塾は、学ぶ生徒の学習机の上や書棚の中を想像したことがあるのかと、疑問に思ってしまいます。

たしかに、いい教材もたくさんあります。しかし、これをお読みのみなさんご自身の学生時代の経験を思い浮かべてください。教材選びに成功したひとなら「この問題集を1冊仕上げたからこそ力がついた!」という<恩師>ともいえる運命の教材があったはず。そして、それ以外はあまり手をつけなかった、そういう感じだったはずです。

逆に、教材選びに失敗したひとは「あれもこれも」になってしまって、失敗したのでしょう。

出版社は生徒の個々の状況など把握していません。作って売るのが仕事ですからどんどん新しい教材を作ります。でも、それにあわせてみなさんが買ってしまったら、消化不良を起こしてしまうでしょう。無駄な教材は、お金がもったいないだけでなく、子供の頭を混乱させ、学力をストップさせることにもつながる可能性があるのです。

(3)「ムダな機材」

最近、タブレット端末やらスマホやらゲーム機やらを用いて学習させようとする教育機関は非常に増えております。確かに、それらにある一定の効果がある側面は、私も認めます。

しかし、です。勉強の基本は紙の本を読み、対面式授業でキャッチボールを行いながら生身の人間どうしがやりとりするという方法が、もっとも効果的なのです。

どうもここのところ、だれが一番早く最先端の技術を教育に導入したかがひとつの企業や私学のステータスのようになってしまっている嫌いがあります。しかし、これで本当いいいのでしょうか?

大切なのは、ハードではなく、ソフトのはずです。コンテンツの充実していないタブレット授業や、レベルの低い映像配信授業に、何の価値があるでしょうか。そこに大量の投資をしている大手企業は、方向性を間違っている可能性が否めません。

(4)「ムダな講習」

大手塾各社が行っている「○○講習」と名のつく季節の講習を行うのは、売上確保が主たる目的だということをご存じですか? たとえば夏期講習だけで通常期の3~4倍の売上が上がるのが普通。通常期だけで十分な売上を上げている塾の中には「○○講習」をやっていないところもあるのです。これに気づかず「学力向上のため」と様々な講座の申込促進に煽られ、大金を支払っている家庭は多いのが実情です。

もちろんその中には使いようによって役に立つ講座も多いでしょうが、よくよく考えてみてください。その講座、本当に必要ですか!?

「授業を受ける」というINPUTだけで学習成果は上がりません。自分の力で時間をかけて考え、手を動かし、声に出して練習する、というOUTPUTこそが学力を完成へと導くのだということを忘れないでください。

(5)「個別指導の落とし穴」

1995年ごろからメジャーになってきた「個別指導」という学習塾の指導スタイルに対する保護者・生徒の期待は、年々高まっています。なぜこれほどまでに「個別」「個別」と言われるのでしょうか? ――この理由は、2つ考えられます。

ひとつには「個々への対応こそが学力アップの一番の近道である」と信じて疑われていないこと。そしてもうひとつが、少子化で世帯当たりの子どもが減少してきたため、子ども1人にかけられる教育資金が増加していること。

この2つの理由のうち、ここでは1点目について少しお話ししてみましょう。本当に「個別」は学力向上の最後の切り札なのでしょうか。実は私は、「個別学習」は使い方を一歩間違えると効果が出ないばかりか逆効果の場合すらあると考えています。これはなぜでしょうか?

その理由は3つあります。第1に、教師・生徒とも客観的視点が欠落しやすいこと。第2に、マイペースになってしまい終わらせるべきカリキュラムを消化できなくなることがあること。第3に、自分で考える力が奪われる可能性があること。逆に、もしこれらのデメリットをすべて克服できる「個別指導」があれば最強だ、ということができるわけです。では、順に見ていきましょう。


【個別が万能ではない理由】その1

客観的視点の喪失」について。――これは個人差がありますが、子どもはふつう小学校3年生くらいから他者を意識し始め、客観的視点を持ち始めます。そして年齢を重ねるにつれて、他者の眼差しの中で自分の位置を把握し、様々な能力を比較することが多くなります。そして結果的に、少しずつ精神的成長を遂げていくのです。

このことは裏返せば「比べる相手がいない子どもは成長が遅い」ということです。個別指導の最大のデメリットは、ズバリここにあります。他者を参考にできないのです。隣に座る教師の評価だけがすべてになってしまうということなのです。ところがこの教師の視線も、目の前の生徒だけに注がれていますから、他者が見えません。つまり甘い評価になりがちだったり、必要以上に厳しく接してしまったりということが起こります。この点を克服するには、過去の生徒と比較対照することができる経験豊富な教師の客観的視点が必要です。

【個別が万能ではない理由】その2

マイペースになってしまう」点について。――授業のイニシアチブを教師が握れていないと、本来教師がペース配分をすべきなのに逆に生徒のペースにひきずられてしまうという状況が起こります。生徒に質問されたことにすべて答えるとか生徒ができるまでひたすら待つというのは一見正しい行動にも思えます。しかし、できるまで待っていた結果、その日に消化すべき内容の大半が残ったまま授業が終わってしまった、これでは困りますよね。なぜなら「目標」にはふつう、タイムリミットがあるからです。

そもそも、明確なカリキュラムや学習スケジュールを作成せずにオーダーメイドを謳っている個別学習塾はけっこうあります。

個別指導の授業料が高い理由は、レディメイドではなくオーダーメイドであるという点にあるわけですから、この「スケジュール作成」「目標設定」が口先だけで終わってしまっている塾には疑問符がつきます。

また、授業後にいわゆる「指導報告書」を書いて渡すという塾もあります。これ自体は素晴らしいことなのですが、それを授業中に書かなければならないというシステムの塾があります。つまり「報告書を書いている間は授業をしていない」ということです。ここも気をつけたいところです。

【個別が万能ではない理由】その3

時計

考える力が奪われる」という点について。――これは個別指導を行う教師側がもっとも気をつけなければならない点です。一生懸命な教師ほど、子どもの手がストップしたときに、ついつい解き方や答えを教えてしまいがちです。特に算数・数学を家庭教師のような1対1完全マンツーマン指導で行うのは大変危険です。

というのも、子どもが思考中に教師が手や口を出すタイミングには十分気をつけないと、不用意な発言が子どもの思考を途切れさせてしまい「解き切った!」という達成感を与えられずに終わってしまうことがあるからです。

さて、それでも個別の効果を信じるみなさん。どんな個別指導を選びますか? もちろん、これらの「3つのマイナス」をすべてクリアしている個別指導があれば、やるべきだということになります。さあ、行動を起こすときです!


大手学習塾の3つの弊害③ ~社員教師は教師ではなくビジネスマン~

多くの大手塾社員は、ビジネスマンとしての<営業的仕事>を、授業そのものや教材研究などにあてる<教務>と両立するよう指示されています。つまり、教室経営をしながら、授業や生徒対応をはじめ受験に向けた進路指導まで、すべてをこなさなければならないのです。

会社員でありしかも教師でもあるという点で普通のビジネスマンと大きく異なる塾教師という職業では、この両立ができないと生き残れません。もっとも、これは当然といえば当然です。生徒がいなければ仕事になりませんから営業は必須であり、そのうえで生徒の成績向上や志望校合格による顧客満足が満たされ口コミが広がり、塾が存続していくという構図があるからです。

とはいえ、実際にこの「経営と教育の両立」という両輪をうまくコントロールできている正社員は少なく、ほとんどの場合、どちらかに偏っていきます。しかし、出世して会社の幹部になっていくのは上にいけばいくほど、教育よりも経営を選んだ人たちなのです。この点は、塾が塾でなくなっていくという意味で大きな問題であることは間違いありません。

「それなら分業してしまえばいいじゃないか」という声も聞こえてきそうです。しかし、これらを単純に分業で行うことにも大きなマイナスがあります。現場でいい指導、いい授業ができない人間が経営側にたつと、塾は破綻してしまうからです。また逆に、授業はうまいが経営センスがない人間だけで塾をやろうとしても、これまたうまくいきません。つまり、真によい塾を作り上げるには、どうしてもこの教育と経営を、両立しなければならないのです。

しかし、そううまくはいかないのが現場というものです。大手塾はたくさんあれど、多くの塾の現場では、23時をすぎても、まだ教室の明かりが煌々と灯っています。とにかく、忙しすぎるのです。

ここで、私の友人で、とある大手塾に勤務していた教室長Yさんから聞いた1日の流れをご紹介しましょう。

家を朝9:00に出る。11:00から都心のレンタル会議室で14:00まで長い会議。昼食休憩時間はナシ。電車内でつり革につかまりつつパンをかじりながら1時間かけて自分の教室に戻る。

15:00から自分の教室で営業電話や保護者面談や生徒の質問対応。そうこうしているうちに生徒が集まってくる。17:00から21:30まで授業。その後、欠席した生徒の家に電話をかけたり、アルバイト教師を集めてミーティングをしたりしているうちに気づくともう23:00。その頃、ようやく上司から与えられた自分の仕事をできる時間がやってくる。24:00に退社。24時間営業の牛丼屋で遅い夜食を食べて帰る・・・。Yさんはほぼ1年中、こんな感じで何年も勤務しているそうです。

場合によっては、休みの日も返上し、若手教師たちを相手に「模擬授業研修」をしなければならないこともよくある。また、帰宅後も、次の日の会議資料や保護者セミナー資料を徹夜で作るなんてザラ。・・・Yさんはストレスと疲労でいつもげっそりしていました。

なぜここまで忙しいか。その理由は、人手不足です。「大手塾の弊害①②」にて先述したように、たいていの塾では人件費を切り詰めてギリギリの人数で教室を回しています。コストカットで利益確保しようとしているのです。その結果、バイト教師が増え、品質は下がるが、そこは目をつぶる。こんな悪循環です。

では、この「人手不足」の原因は、何か。それは、突き詰めると、教室の作りすぎにあります。1つの教室をつくれば、大手企業ならだいたい利益が出せます。少しでも利益が出せるとなれば、マンパワーを無視して出店しようとするのが大手のやり方。ここに大きな問題が生じてきます。

企業のやりたいこと、かなえたいこと、達成したい目標、それらを現場業務のレベルに落として考えたとき、マンパワーとつりあっていないという問題、そしてその結果として塾が塾でなくなっていくという問題です。

教室が増えすぎて、教師が教師である前にビジネスマンにならなければ、企業がつぶれてしまう。だから学習塾の上層部の中には、生徒の成績が向上しているかとか、合格が達成できたかなどということに、あまり興味がない人も多いのです。

会社の中で真っ先に評価されるのは、いつも教室の利益拡大を最重要視し、それを達成できる社員です。無論、それはそれで必要なことでしょう。しかし、成績向上や志望校合格が、オマケのようになっていたとしたらどうでしょうか? 医者が、患者の病気のことではなくいかに稼ぐかばかりを考えているとしたら、あなたはどう思いますか? それと同じことが起こっている学習塾も、少なくないのです。

多くの学習塾でこのように「教育と経営」のバランスが崩れ、両立したいと思っても、簡単にはうまくいかないという現状があります。「生徒に勉強の楽しさを教えたい!」と思って入社した夢を持った若者が、実際の仕事内容との乖離に気づいて退職していく数は年々増えていると聞きます。

それもそのはず。学習塾業界の過激なM&Aと競争の中にあって、経営者サイドの視線が、社員の幸福や顧客の幸福とは違うところに向き初めているのです。だからこそ、顧客満足を高められる人間こそが正当な評価を得られるように、学習塾は変わらなければなりません。今こそこの問題を直視し、塾を塾として再生しなければならないと、私は強く感じているのです。

(※)最後にひとつ。自立学習スタイルの塾が最近猛威をふるっています。この問題については下記ブログをお読みください。

  ブログ記事(2014/12/14)「とんでもない塾の実態」

良くも悪くも、親の子に対する影響力は、そもそも絶大です。しかし、ここでいう「影響力のある親」とは、子どもから将来に及んで尊敬され、子どもが周りの人々に対して誇れる親のことです。

親なら誰しも「子どもの心の師」でありたいところですよね。

このページでは「子どもからの質問に対する答え方」について考えることで「尊敬される親」になるための第一歩としていただければと存じます。

勉強は何のためにするのか?

 子どもたちは、年齢が小さいほど親の考え方を正しいものとして吸収する傾向があります。ですから、親が間違った考え方を持っていると、子どもたちも当然ですが、間違った考え方を身につけることになるわけです。

ここでひとつ、子どもたちに質問されたときの答えとして用意しておきたいひとつのことについて語ります。

 「勉強はなんのためにするのか」という問いに対する答えです。あなたなら、どうお考えですか?

 低次なものから高次なものまで様々考えられますが、いずれにせよ「なぜ歯を磨かなければいけないのか?」などという答えのハッキリしたものと異なり、親や教師でも答えに窮する場面があると考えられます。

ポイントは「なぜ」を繰り返してみることです。(例)「なぜ歯を磨かなければならないのか?」
   ⇒ 磨かないと虫歯になるから
   「なぜ虫歯になってはいけないのか?」
   ⇒ 虫歯になると歯を抜いたりして食生活が不便になるから
   「なぜ食生活が不便になるといけないのか?」
   ⇒ 食べないと生きていけないから
   「なぜ生きていかないといけないのか?」
   ⇒ ・・・(ここはまたいずれ)

まずは、こどもたちが答えそうなものについて列挙しましょう。

[1]義務だから

「義務教育だから」…何のため、という質問に答えていません。つまり<勉強>とそのもたらす<成果>という因果関係が成り立っていません。

「やらなくちゃいけないから」…勉強は、無条件にしなければならないものと考えているときに出る答えです。「親や先生がやれというから」というのと同じ。親や教師が言ったことが絶対で、自分で理由を考えられない年齢の子の答えにありがち。

[2]自分のため

(1)精神的なもの

「我慢強くなるため」…これは私がよく使う答えのひとつです。「勉強」=「強いて勉める」と読めます。やりたいことだけでなく、やりたくないものにも我慢強く取り組むことが、忍耐力をつくります。大人になってからのストレス耐性をつくるのが18歳までの期間であると考えられます。

「大人になってから恥ずかしくないように」…ありがちな答えですが、大事なことではあります。人間は社会性のある生き物です。「自分が周りからどう見られるか」に敏感になることは客観的視点をもつことにつながります。大人になるためのひとつの重要なステップです。

(2)目標達成のため

「就職のため」…いい中学、いい高校、いい大学、いい会社に入りたい。そのために勉強する。このような価値観は、根本的にはもっとも身近な「親」が形成します。次が「ともだち」や「親戚」や「先生」でしょうか。いずれにせよ、価値を先送りすることは「いま」を大切にしないことにもつながります。いつもいつも「将来のため」では、なんのための「いま」なのかわからなくもなります。

「将来の収入のため」…勉強量が収入に比例するという考え方から生じる答えです。この考え方は間違いではありませんが正しくもありません。教科学習的な勉強ができなくても収入が高いひともいますし、逆も然りです。ただ、個々の学力や知識量などが職責を決める重要な要素となる職種もたくさんあるので、こどものなりたい職業などによっては、使える回答ではあります。

「○○になるため」…上の2つと類似します。医師になりたい、弁護士になりたい、教師になりたい、などなど具体的な「なりたい自分像」がすでにある程度決まっている場合は、勉強の動機づけはカンタンです。しかし簡単だからこそ、もろい側面もあります。つまりその「なりたい自分」が変わってしまったときにこの動機づけは無価値になるということです。

[3]周りのため

(1)家族のため

「こどもに教えるため」…自分に子どもができたとき、こどもに恥ずかしい思いをさせないように。とか、勉強を教えるため、などの理由です。これは、副次的な要素としては、確かにあるでしょうが、中心的な動機にはなりえません。なぜなら、こどもを持つということ自体、ふつうの10代の学生たちにとってあまり現実味がないからです。

「親をラクさせたいから・安心させたいから」…親のために勉強する、これは間違っていると考えます。勉強を一生懸命やった結果、難関校への合格を勝ち取り、結果として世間体がよくなって親が喜ぶとか、そういうことはまあ、あるでしょう。でも、そのために勉強するというのは「親のために生きている」というようなものです。親は、子どもが自分だけの人生を好きなように幸せに生きてくれた方が、嬉しいはずですからね。

(2)社会貢献のため

「日本を、世界を変えるため」…たまに、いますよね。政治家志望の子とか。立派なものです。しかし、あまりにもおおげさなことを言う子には要注意。大人になったらある種「思想」と呼べるものを持つことも大切ですが、10代のころは思想を持つよりも、まずは身近な人間関係のなかで自分の立ち位置を考え、自分を中心に視野を広げていけばいいのではないでしょうか。

「暮らしやすい世の中にするため」…これは大切ですね。たくさん勉強して、ぜひとも生きやすい社会をつくってほしいものです。より具体で、いまの自分の教科学習と世の中の動きをリンクさせられるよう、大人が導いてあげるべきでしょう(「日本を変える!」というよりは、まだ現実的な視野を感じる回答です)。

以上、いずれにせよ「○○しないように」というような回答よりは「○○できるように」といった前向きな答えを、ぜひ持っておいてほしいと思います。

算数・数学は何の役に立つのか?

 きょうは「数学は何の役に立つのか?」という質問に対して、中高生が納得できる答え方を探ります。

 この質問は、数学に苦しんだ人なら誰しもが一度は思い浮かべたことのあるセリフでしょう。
 多くの場合、ひとは明確な見返りが期待できないものに対してはあまりヤル気が出ないもの。
 その意味で、算数・数学は、そのヤル気が出ない教科の代表格でしょう。

 数学は、わたしたちの日常から遠く離れているように感じられ、学習の成果(=見返り)がハッキリしないのが普通だからです。たしかに、主要5教科(英数国理社)のうち数学以外の4教科は、比較的日常と密接な関わりがありますよね。

 国語:私たちが必ず毎日使う「言葉」について学ぶものであり「役に立つかどうか」の議論にさえ及びません。年齢・性別・居住地・職業等々を問わず必要となる、根源的な教科学習です。

 英語:言語ですから国語と同様ですね。日本人であってもグローバルな人生を送りたければ英語は必要ですし、使いこなせるようになれば明確に「役に立つ」といえます。

 社会:文字通り世の中の仕組について学ぶわけですから、大人になったら誰にでも必要となります。強いていえば「地理・歴史・公民」の3科目のうちで歴史の学習だけは、日常とあまり直接的な関わりがないかもしれませんが…

 理科:生物・地学・物理・化学の4科目。生物は、わたしたち自身についての学習でもあり、不可欠です。地学も、地球に住む私たちとしては知れば知るほど役に立つでしょう。物理・化学も然り。

 このように見てみると、唯一数学だけが、抽象的でつかみどころがない感じがするのです。
 とくに、よく言われるのはこうです。

 「算数」は日常でよく用いるが「数学」はどこで使うのかわからない。

 たしかに、速さ・重さ・長さ・面積などの身近な「単位つき」のものの数量を取り扱うような場合、算数で事足ります。また、ちょっとした確率や統計の計算なども、結局つかうのは四則計算程度であって、高度な数学的知識は不要です。
 ですから一方で「三角関数とかベクトル、極限とか微分積分などは日常生活で使わない」という言い分は、わからなくもありません(もっとも、算数と数学は重なっている部分もたくさんあるのですが)。

 すると、算数にも数学にも共通することとして、たいていの教師はこう答えます。

「論理的思考力を鍛えるのが数学だ」

 これは、正論です。
 筋道立ててものごとを考える訓練として、数学学習は大変有用です。
 しかし、この答えには、中高生はあまり納得しないでしょう。
 そうすると今度は、議論をすり替えようとする人も出てきます。

 「役に立つかどうか、必要かどうかでものを考えること自体がよくない」

 そのひとは続けます。
 「ゲームは、役に立たないけどやってるよね?テレビも、君は役に立つかとか必要かとかイチイチ考えてから見るのか?」
 「違うよね。そう考えると、有益性や必要性と関係なく、やらなければいけないことだってあるっていえるよね」
・・・
 よくわかりません。結局は義務で片づけてしまう結末です。
 で、塾や学校の教師の最後の逃げは、こうです。

 「現に数学教師になったオレは、数学がそのまま仕事の役に立っているぞ!」
 「つべこべいうな。入試の役に立つだけで十分だろ!」

 これはまぁ、子どもたちを説き伏せるための最短ルートかもしれません。
 とりあえず、だまらせることができます。(笑)
 でも、腑に落ちない感じが残ってしまうでしょう。

 プログラマーを目指したこともある私はかつて、よくこんな話をしてきました。

 「君たちが大好きなコンピューターゲームは、すべて数学と物理からできているんだよ」
 「プログラミングをするのに、数学は欠かせないんだ。たとえば野球のゲームでボールが放物線をえがくように飛べば自然に見えるよね。でももし、打った瞬間からミットにおさまるまでの動きが直線的だったら、不自然なゲームになってしまう。また、物体の衝突運動をスムーズに表現したいようなときも同じだね。いまでは、いかにリアルにつくるかがゲームのクオリティを決める大きな要素であって、数学と物理は不可欠なんだよ」

 などなど。
 かといって、実際に役に立つ例をたくさん挙げて説明するというのも、数学に詳しい人じゃないと、なかなか難しい。
 そこで、つぎのように答えるのはどうでしょう。

 「他の4教科が人間の日常に直接的に関わっているのに対し、数学だけは、そうじゃない。つまり、人々がふだん気づかないようなところから世の中を支えるためにある、裏方的な学問なんだ。どんな舞台にも裏方は必ずいるよね。表舞台にたつ他の教科を盛り上げるための裏方。それが数学なんだよ」

 「他の4教科は、最初から存在がハッキリわかるものや、目に見えるものを扱っている。だが、数学だけは、目に見えないものや曖昧なものをハッキリと目に見えるようにするためにあるんだ。 数学は、そういうスゴイ学問なんだよ」

 たとえば、AとBという事柄があっても、それらの関係は目に見えない。それを表すのが関数だ。
また速さや時間というものは目に見えない。それらを数として表現しようというのが微分だ。

 未来はだれにもわからない不安なものだ。その未来に起こりうることを予測するために、過去の先人たちの考え方を参考にする歴史学もいいけど、過去の数値を元に法則性を見い出し未来を割り出す統計や確率の勉強が、役に立つ。
 ・・・などなど。

 「へぇ~、見えないものを見えるようにするなんて、なんかカッコイイ!」

 そんな声が聞こえてくれば、少しは数学にも興味がわくのではないかと思うのです。

 いかがでしょうか。
 正解はありません。
 みなさんも色々考えてみて下さい。

子どもは親のココを見ている! 

親自身が、人の意見に流されず、自分の頭で考えているかどうか。
 自分の考えを持って行動しているかどうか。

 こどもは、親のそういう部分を、しっかり確かめています。
 わからないことに出会ったときあきらめずに考える力、人の意見だけに頼らず自分で考える力を、我が子には身につけてほしい。
 その希望を叶えるためには、親自身がまずクリティカルシンキング(批判的思考)の習慣を身につけなければなりません。

 それを見たこどもは、親のそういう態度を、知らないうちに真似ていきます。

 ところであなたは、西暦2045年には人工知能が人間の能力を超えるという予測があり「シンギュラリティ(技術的特異点)2045年問題」などと呼ばれているのをご存知ですか?

 今からたったの20数年後ですが、20年前と今の生活を比べてみれば、コンピュータ・テクノロジーが人知を超えるという話もSFだけの世界ではないと実感できるはずです。
 そしてその頃、科学技術を牽引し、様々な問題を解決する主役は、いま中高生の子供たちです。

 こどもたちに、何を与え、残していけるのか。

 親・教師は、それを真剣に考えなければなりません。

 時代が変わっても普遍的に必要なもの、それは「科学的思考力」です。

 目に見える物事をあるがままに見つめ、考え、見えない大切なものに近づいていくことができる。
 そういう子どもたちを育てたいと、私は常に考えています。

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