合格への道(3)~医学部編その2・中学校編~

前回のブログもご好評いただきました。

もう読まれましたか?

続きが気になっていた方のために早めに書きました(といっても2週間経過…すみません)。

さて、小学生S君はその後どうなったのでしょう!?

では早速・・・

★3★
大学受験編その2・中学校編
「信じる者は救われる!?」

 中学受験なんて、合格しても中1になるだけである。

 その後6年間たてば、また1年生になる。

 大学を出て社会人になってもまた1年生だ。

 人生は1年生の繰り返しなのだから、内部進学で上に上がれるかどうかなんて大したことじゃない。

 それが私の考えだった。

 でも、当の本人にとっては非常に重要な入試である。

 とにかく、つべこべ言わず全力を尽くすしかない。


 そして入試本番がとうとうやってきた。

 受かるかどうかは半信半疑だが、やれることはやったと、送り出す。

 結果、合格。

 よかった。ホッとした。

 

 「うちの子みたいな子を引き上げてくれて本当にありがとうございます。これからもずっとうちの子の師匠として面倒見てやってもらえませんか?」

 S君のお母様からのお言葉だけでなく、おじいちゃんおばあちゃんまでもが「福嶋先生は神、命の恩人」だなんて言ってくれているらしい。

 私は当時、なぜ内部進学入試に合格した程度で「命の恩人」なのか、理解できなかった。

 

 おおげさ極まりない。

 でも、S君のご家庭にとってはそれくらいの気持ちなのだろうと、ありがたくその言葉を頂いておくことにした。

 ・・・

 そしてS君は中学に入り、小4になった妹もぜひと、入塾してくれた。

 このときから、きょうだい2人で机を並べての個別指導が始まった(この2人セットの個別は毎週土曜の15:00からのルーチンで、その後6年間、続くことになる)。

 さて、初回の定期テストがやってきた。

 しかし、S君の中1最初の定期試験は学年180位。

 お世辞にも上位とは言えない位置からのスタートだった。

 部活もテニス部に入ったが、休んで勉強しないとまずかったため、無断で休んだらなんと1週間で強制退部に・・・。

 そんな惨憺たる中学生活のスタート。

 色々あったが、明るい性格のS君と妹のMさんは、毎週塾に楽しそうに通ってくれた。

 ・・・・・・

 その後S君が中3になったとき、私は現在の塾「フェイマスアカデミー」を開校した。

 当然のごとくS君きょうだいもついてきた。

 ありがたい話である。

 もうすっかり「ふくしま教の信者」といったところである。

2016年、移転リニューアルオープン直前の写真。

まだ絨毯を敷き詰めたばかり。

 ところがその頃からS君は反抗期になり、すべてが不調に陥った。

 頻繁に家出をしたり、親子喧嘩が激しくなったりと、中3生らしい(?)不安定な状況が続いた。お母様からも色々な相談を受ける日々。家族関係もあまりよさそうには見えなかった。

 しかしS君とその家族には、ほかに類を見ないほどのある特徴というか能力が際立っていた。

 それは「人を信じる力」。

 とにかく私に全幅の信頼を置いてくれていたことで、私の言うことをすべて信じて実行してくれたのだ。

 それに加えてS君は愚直に努力できるタイプだったので、徐々に騒動も落ち着き、通塾5年も経つ頃には継続的な通塾により学力も上がっていた。

 ・・・・・・

 あっという間に高校生になり、妹も中1になる。

 高校生ともなると、目標を決めなければならない。

 ある日の面談で、彼は「医者になりたい」と言った。

 実は母親もそのつもりだったらしい。

 私はそれを聞いてのけぞった。

 医学部入試をナメているのか。

 医師家系というわけでもないし、知識が少ないのではないか?

 

 確かにすでに学年180位から最上位クラスでトップを争えるところ(学年20~30位)までは来ていた。

 ただ、桐蔭中等からの現役での医学部進学数は決して高くはない。医学部人気は絶頂だったこともあり「このままだと厳しいのではないか」と私は正直に伝えた。

 ところがS君には、そんな言葉は簡単に聞き流されてしまった。

 「そんなのやってみなけりゃわかんないじゃん」

 まあ、それもそうである。

(しかし、それはそうと、友達じゃないんだからその口のきき方はなんとかならんのか。何度教えても敬語が使えない、常にタメ口な2人だった。後日談だが、24歳になった今でもLINEがくると常にタメ口である)

 

 預かっている生徒の夢や目標を頭ごなしに否定してしまう指導者は、指導者失格である。

 どんなに厳しかろうが「こうなりたい」という気持ちを応援し、全力で支援するのが塾教師の役目である。現実を見るかどうかは、本人そして家族が決めるべきだ。

 そんなわけで「なにがなんでも医学部」の気持ちで、家族と塾一丸で、なんとかがんばろうということになった。

 ・・・

 そうこうしているうちに、高2の春がきた。

~つづく~

↓このホワイトボードで、その後8年間様々な知識を子どもたちに伝授してきた。これはその記念すべき設置日の写真。まだ机もない。